The Magic of Oaxaca
-人生を変えるオアハカ留学-
メキシコ南部🇲🇽オアハカにあるスペイン語語学学校 Instituto Cultural Oaxaca(ICO)の日本人スタッフ🇯🇵Nobuです^ ^
【人生を変えるような経験をオアハカでしてほしい】
オアハカ・デ・フアレス (Oaxaca de Juárez) はオアハカ州の州都であり州の中で最も人口の多い街です。
この名前で呼ばれるようになったのは、ベニート・フアレスの死後(1872年7月18日)から数ヶ月後の1872年から。
1857年から1872年の間のいくつかの年代でメキシコの立憲派の大統領を務め、
「他人の権利に対する敬意は平和である」という彼の名言はオアハカ州章にも刻まれています。
この言葉は世界的に知られているだけではなく、外国、特にアメリカに住むメキシコ人を鼓舞する役割まで果たしました。
212年前の今日(3月21日)、彼は生まれました。
それを記念して毎年その週の月曜日は祝日に指定されています。
非宗教的国家かつ共和国としてのメキシコの統一に寄与したことに敬意を表して民間のセレモニーも同様に開かれます。
ベニート・フアレスとは完璧な人間だったのか、それとも不完全な人間だったのか。彼の母国語はサポテコ語でスペイン語は第二言語なのです。
また、母国の自由と独立を守る姿勢から「ラテンアメリカの象徴」としても知られています。
永続的、潔白、平静、という彼のイメージは私たちの政治的、社会的イコノグラフィーの中で今なお生き続けています。
彼の肖像が印刷された20ペソ紙幣や「時代遅れのもの」と捉えられる彼のヘアスタイルからもいかに彼の存在が日常的かということが分かります。
彼の言葉は使い古された祖国やその歴史についての演説の中で「オアハカとメキシコの象徴」として今でも引用され続けています。
それらは「恒常的な再評価」と「個人と集団の同化」という意味を持ち、評価されています。
おそらく私たちは問われているのです。
フアレスはどこまでオアハカ土着の側面を持ち、どこまでオアハカの多様性を持っているのか。
私たちを阻むその社会的風潮は、個人の努力でどこまで作り変えることができるのか。
オアハカにある彼とゆかりの深い場所
◆Museo de Sitio Casa Juárez:1819年から1828年までベニート・フアレスが住んでいた家。
Manuel García Vigil 通り # 609
◆Sala homenaje a Juárez:ベニート・フアレスが生まれた場所。
Manuel García Vigil 通り # 609
◆Sala homenaje a Juárez:ベニート・フアレスが生まれた場所。
La comunidad serrana de Guelatao de Juárez
おわり
Nobu
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