2015年2月24日火曜日

オアハカの交通事情

こんにちは。

最近は日中建物のなかで半袖でも平気になってきたオアハカです。梅が咲いたという便りを受け取ったりすると、日本も寒いとは言いながら、確実に季節は春に向かっているのだなぁと感じます。オアハカの春は、朝晩は涼しく、昼間は太陽の日差しが強くて肌がこげるように暑いです。

さて、生活する中で、公共交通機関はなくてはならないシステムです。旅の途中や外国では、自家用車がないので基本的には交通機関のお世話になることになります。飛行機は長距離バスは意外と利用が簡単なのですが、公共交通機関は少し難易度が上がります。近隣を移動するためには土地勘が必要になるからです。

しかし、旅先でもタクシーではなく市民の足である公共交通機関を使いこなせば移動にかかる費用がぐっと押さえられ、しかも便利です。というわけで、今日はオアハカの公共交通機関事情について書きたいと思います。

1)タクシー

(出典:Oaxaca Digital)

まず、一番簡単なのが通常の「タクシー」。オアハカを走っているタクシーには2種類あります。「タクシー」と「コレクティーボタクシー」です。「コレクティーボタクシー」とは乗り合いタクシーのことです。

通常のタクシーは、最近は黄色いものが増えてきました。乗り方は、道ばたで捕まえて、行き先を告げ、値段を交渉します。日本のタクシーと違ってオアハカのタクシーはメーターはついていないので、乗る前の値段交渉がとても大切です。

オアハカ市内の移動なら40ペソくらいが目安です(2015年2月現在)。近隣の村に行く場合は、値段は跳ね上がります。例えばタペテ(羊毛の織物)で有名なテオティトランデルバジェなどに行く場合は、230ペソ〜250ペソくらいが目安です。

タクシーはそこら中走ってるので手を挙げて捕まえるか、バスターミナルや街の中にあるタクシー乗り場から乗車できます。

2)コレクティーボタクシー

(出典:Noticias de Oaxaca)

コレクティーボタクシー(以下コレクティーボ)は、オアハカでは重要な市民の足です。色は白とあずき色で、車体は日産のサニー(メキシコ名:TSURU, つ、鶴?!)のものが多いです。フロントガラスに行き先が書かれていて、オアハカ市内と行き先の村をピストン運行しています。目的の村までは連れて行ってくれますが、乗降所が決まっているので、その先は自分で歩いてたどり着くことになります。

コレクティーボも通常のタクシー同様乗り込む前に一応値段を確認しておきます。だいたい、前に2人後ろに3人くらいのお客を積んで移動するので、人数が集まるまで発車しません。少人数で出発しても、途中で人が乗り込んできたり(あるいは降りていったり)するので、人数は変動的です。

3)バス

(出典:oaxacaentrelineas.com)

海外の公共交通機関でかなり難易度が高いのはバスだと思います。日本だと、バス停にも名前があるし、次の駅の名前もちゃんとアナウンスしてくれたり電光掲示板に表示されたりします。(大きな街だと英語や中国語、韓国語などでのアナウンスもありますね。)各席には停車ボタンがあるので、下車したいバス停が近づいたらすかさずボタンを押せば、ボタンが点灯し、さらには「次、止まります。」という車内アナウンスまで流れます。

が!!オアハカのバスはそういうわけにはいきません。

バス停はだいたい道の角にあります。標識があるところもあるし、ないところもあります。各バスのフロントガラスには行き先が書いてあるので、バスを待ちながらじっと行き先に目をこらします。行き先の他に、通過する通りや施設の名前も書いてあるので、それもあわせてみるとどういうルートで走るのかを知ることができます。

乗りたいバスがやって来るのが見えたら、手を挙げて運転手に知らせます。バス停にいても、手を挙げなければ「そのバスに乗る意志はない」と見なされ、バスは止まってくれません。バス停にいるのに止まってくれないなんて!!と、日本の感覚で考えると驚きです。バスによっては、バスに乗っている人が行き先を大きな声で言ってくれます。しかし、これがめちゃくちゃ早口なので、知らない地名を羅列されてもなかなか聞き取ることができません。なので、フロントガラスの行き先で確認するのが確実です。

乗車するとまずは運賃を払います。運転手さんに直接払います。料金は一律、6ペソです。(2015年2月現在)車内では、次のバス停がどこだとかのアナウンスや表示はいっさいないので、自分で注意深く景色を確認し、降りたいバス停が近づくと車内後方にあるボタン(車内に1つか2つしかありません!)を押して降車します。アナウンスがないばかりか、車内は運転手さんが好きな音楽が爆音でかかっていたりするので、なんだかにぎやかなことが多いです。

観光地に行く際は、あまりバスに乗らなくてもいいかもしれませんが、留学などでしばらく暮らすとなると、使いこなせるようになると便利だと思います。

おまけ)モトタクシー

(出典:istmo-mx)

「トゥクトゥク!!」と思わず叫んでしまいまいそうですが、ここメキシコでは「モトタクシー」と呼ばれています。小さな村に行くとよく走っています。勝手なイメージで、トゥクトゥクはアジアの乗り物と思っていたので、メキシコで見るとなんだか不思議な感じです。

このような感じで、公共交通機関はかなり日本と事情が違いますが、乗ってみると人々の生活の様子が見えてくるのとでとても面白いです。オアハカにやってきたら、公共交通機関にもぜひともチャレンジしてしてみてくださいね。

それでは、よい一週間をお過ごしください。

Instituto Cultural Oaxaca
日本人スタッフ あみ

2015年2月16日月曜日

オアハカ留学のその後

こんにちは。季節の変わり目なのでしょうか。ここ2、3日は寒さがぶり返しているオアハカです。昼間は暑いので、寒暖差絶好調です。

非常に個人的なことではありますが、オアハカにやってきてちょうど1年が経ちました。その間、世界中からたくさんの生徒さんがやってきて本当にたくさんの人に出会いました。圧倒的に北米の国の人が多いのですが、遠いところではロシアやカザフスタンやオーストラリアなどからの生徒さんたちもいました。遠さでいうなら日本もここオアハカからはとても遠い国の一つだと思います。メキシコまでなら東京からも直行便があるのですが、オアハカは地方都市の一つなのでどうしてももう少し遠くなってしまいます。

そんな遠く離れた自分の国、日本からの生徒さんもたくさんやってきてくれました。スペイン語を学びに来る人、旅の途中の人、休暇を過ごすために来た人、オアハカの食を極めにきた人、その目的も滞在期間も様々でした。

メキシコは「陽気そう」というイメージがある一方で、「なんか怖そう」というイメージも持たれている国だと思います。それに加えて物理的に遠いので、漠然としたイメージのままやって来る人が多いです。そして、オアハカで数日を過ごしたあとはみんな一様に、

「めっちゃ安全ですねぇ……」

と口にします。オアハカは小さな街なので、流れる時間もなんだかゆっくりです。気候もよく人々ものんびりしているし、おいしいご飯やコーヒーを楽しめるカフェやレストランもたくさんありリラックスして日々を過ごせるのでオアハカのことを大好きになる人が続出でした。(そして、雑貨や民芸品好きにはたまらないお店や村の数々……!!日本の女の子はたちまち街のとりこになってしまいます。)

自分が生活した街に愛着がわくのはもちろんですが、そこに暮らしている人々との出会いや、ホストファミリーや友だちを通して見た文化はいい意味で来る前の想像を裏切ったものだと思います。というわけで、オアハカでの学習を終了した生徒さんの多くは、日本に帰ってからも「またオアハカに戻ってきたいなぁ」という想いと「オアハカの良さを伝えたい!」という気持ちの人が多いなぁという印象を受けます。オアハカやメキシコの雰囲気が味わえるところはないかと、日本に帰ってからもいろいろアンテナを張っているという話を聞くと、とてもうれしくなります。というのも、私も、オアハカやメキシコのことをもっといろんな人に知ってほしいと願っている一人だからです。

去年の夏の終わりにオアハカ留学をしていた大学生の女の子から先日うれしいメールをもらいました。オアハカから戻って、ラテンアメリカを扱うサークルに入ったそうなのですが、そこで発表したという「オアハカの食について」のレポートを届けてくれました。初めて目にする、あるいは口にする食べ物に対しての純粋な驚きと好奇心にあふれたとてもわくわくするレポートでした。本人に聞いたら紹介してもいいということだったので、紹介したいと思います。(▼下の画像をクリックすると大きな画像で見ることができます。)



オアハカ、確かに遠いです。でも、いいところなんですよ。彼女のレポートを読んで、さらにそう思いました。

それでは、よい一週間をお過ごしくださいね。

Instituto Cultural Oaxaca
日本人スタッフ あみ

2015年2月11日水曜日

オアハカの民芸品「アレブリへ」

こんにちは。

メキシコは民芸品大国ですが、オアハカはとりわけその種類が豊富な気がします。その中でも代表的なのが「Alebrijes」(アレブリへ)。

(出典:Wikipedia)

簡単に説明するならば、「カラフルな動物にエキセントリックな模様で絵付けされた木の置物」と言ったところなのですが、オアハカではいたるところでこの「アレブリへ」を見かけます。一言で「アレブリへ」といっても、道ばたで売られているようなものから美術品のような扱いになっているものまで、そのバリエーション(質も値段も)は様々です。デザインや色使いなども地域によって違っているのか、本当にいろいろあります。

なんでこんなにもバリエーションがあるのだろうと不思議に思ってアレブリへの歴史について調べてみました。調べてみるとその歴史は意外と浅く、創始者の名前までわかってしまったのでびっくりしました。民芸品や工芸品のイメージはというと、いつから作られ始めたかはわからないけれど、代々脈々と伝わっているものというイメージだったからです。

Pedro Linaresというメキシコシティのパペルマチェ(「張り子」のような技術)の作家が病に倒れたときがその始まりです。彼は30歳のときに病に倒れ、病床で不思議な夢を見ました。森の中でゴツゴツした石や雲が動物に次々と変化していくというものでした。それらの動物は、羽の生えたロバや角の生えたニワトリなど見たことがないものばかりで、「アレブリへ!!!!」と叫んでいるというものだったそうです。Pedroは回復してから夢の中で見たその不思議な動物たちを再現することにしました。それが、アリブリへのはじまりなのだそうです。それが1936年のことなので、アリブリへの歴史は80年に満たないことになります。

(出典:can@más)

Pedroのアレブリへは紙を使って作られました。それがやがてクエルナバカのギャラリーや、ディエゴリベラやフリーダカーロと言った画家に注目され始め「アレブリへ」が世に知られていくようになりました。

1975年に、英国人のJudith Bronowskiのドキュメンタリー映画でも取り上げられ、1980年代にはアメリカで行われたワークショップの巡回展示会にPedroも招待されました。そのワークショップにはPedroの他にオアハカのSan Antonino Arrazola(サンアントニーノアラソラ)出身のManuel Jiménezも参加していました。オアハカのサポテカ族には木を動物の形に削る(主にコパルの木)という伝統がプレヒスパニック時代からありました。宗教的な行事に使われていましたが、20世紀にはいっても子供のおもちゃとしてそれらの木彫りの人形が使われていたのです。その伝統にPedroのデザインが取り入れられて、木に絵付けがされる現在のアレブリへが生まれたのです。今「アレブリへ」として広く知られている原型です。今広く普及している「アレブリへ」はたった35年前に始まったばかりで、とても若く新しい部類の民芸品だということがわかり驚きました。

(サンマルティンティルカヘテのアレブリへ 出典:México descocido)

(サンアントニーノアラソラのアレブリへ 出典:Travel by Mexico)

その後木に絵付けされるアレブリへは、San Martin Tilcajete(サンマルティンティルカヘテ)やLa Unión Tejalapan(ラウニオンテハラパン)などオアハカの各地に広がったそうです。そしてそれぞれの街で独自のデザインやスタイルが確立されていくことになります。Tilcajeteでは街の収入源となるまでに大きな産業に成長しました。今は、オアハカを代表する民芸品になっているのはそういう経緯があるのです。

アレブリへによっては、いくつかのピースで構成されているものもあります。1つの木からすべてのピースを切り出すので、ピース同士はぴったりとはまるのだそうです。相当高度な技術が必要とされるので、すべてのアレブリへがそうだというわけではないようです。アートとして高められていくアレブリヘがある一方で、お土産物用に質の良くないものが量産されている一面もあります(質が良くないけど、ゆるゆるした雰囲気が妙につぼにはまってしまったりもします……。ゆるいって、ずるい。笑)。伝統工芸・民芸として定着するまでに一大産業になった面もあるので、今後アレブリヘがどのような道を辿っていくのかとても興味深いところではあります。

とはいうものの、作り手がそのときの気分で絵付けをするアレブリヘの色使いや奇抜なデザインは二つとして同じものはないのでお土産屋さんでもアートショップでも見て回るのはとても楽しいです。一点一点手作りなので、同じ形をしていても顔の表情は微妙に違うので醸し出す雰囲気も変わってきます。そして、直感的に自分が「いいなぁ」「好きだなぁ」と思ったものは手に入れるのが◎だと思います。次に全く同じものに出会える可能性はほとんどないと言っても過言ではありません。

さて、オリジナルアレブリヘは紙だったと前述しましたが、紙のアレブリヘはその後どういう経緯を辿ったのかというと、現在では毎年「巨大アレブリヘパレード」がメキシコシティで開催されています。こちらは、メキシコシティにあるMuseo del Arte Popularが主催で2007年から開催されているそうです。素材も、紙が使われたり木が使われたりさまざまなようです。

(出典:JOT DOWN)

写真を見ていると、とにかく大きい!!!そして、デザインもめちゃくちゃユニークでど迫力です。これは生で見たらかなりインパクトがあるだろうからいつか生で見てみたいところです。

オアハカにあまりに当たり前にあるアレブリヘですが、調べてみると実はまだまだ過渡期なのかな??とも思ったり、始まりや広がりのルーツも知れたので、それをふまえてアレブリヘで有名な街を訪れてみるのも楽しいそうだな、とさらに知りたいことが増えたような気がします。一つの謎が解決すると次の疑問がわいてくるというのは、アレブリヘに限らず、メキシコという国自体がそのような性質を持っているような気がします。

えらい長い文章になってしまいましたが、オアハカに来られたらぜひともアレブリヘを見て回ってくださいね。

それでは、よい一週間をお過ごしください。

Instituto Cultural Oaxaca
日本人スタッフ あみ

2015年2月3日火曜日

2015年【セマナサンタコース】のお知らせ


こんにちは。あっという間に2月です。1月は「行く」、2月は「逃げる」、3月は「去る」などと過ぎ行くときの早さを表す表現がありますが、日本にいるときだけそんな風に感じるのかと思いきや、オアハカでも早いのでびっくりしています。不思議なもので、日々はゆったりとした時間が流れているのに、1週間・1ヶ月単位で振り返ると、なんと言うスピードなのだ……!!とただただ驚いてしまいます。

日本のニュースを見ていると、今日2月3日は節分。今年の恵方は西南西か〜、などと思いを巡らしていますが、ここメキシコでは誰もそんなことを言っていないので、ちょっと残念な気持ちになりつつ、節分が日本独自の文化なんだなぁということに改めて気づかされたりもします。

メキシコは言わずと知れたカトリック大国ですが、カトリックの国で盛大にお祝いされているのがセマナサンタ。(聖週間、ホーリーウィーク)キリストの受難・死・復活の栄光を記念した行事です。アメリカなどでもイースターとしてお祝いされますが、日本人にはあまりピンとこない行事の一つかもしれません。

オアハカでもプロセシオンという聖行列が行われたり、セマナサンタの期間中は様々な行事が街の中で行われたりします。ICOでも、毎年セマナサンタの時期に合わせてセマナサンタコースを開催しています。

▲クリックすると拡大してご覧いただけます(^ω^)ノ

2015年は、3月23日〜4月3日がその期間となります。期間中は通常の授業内容に加えて、メキシコやオアハカにおけるセマナサンタの歴史や文化を学ぶことことができます。街で目にする行事をより深く知り、体験することができるので、おすすめです!!

スペイン語をガッツリと学びたい人は「メインプログラム」の受講がおすすめですが、観光も街歩きも楽しみたいという人は午前中に授業を受けてスペイン語力を身につけて、午後からは自由な時間が持てる「20時間プログラム」や「15時間プログラム」がおすすめです。街でたくさんスペイン語に触れて街の人たちとコミュニケーションをとるのも立派な勉強時間です!

1年を通していろいろな行事のあるオアハカですが、どれも日本の休みとかぶってないというのが非常に残念……。セマナサンタは春休みの時期なので、学生のみなさんにぜひとも足を運んでいただきたいところです。気候もよく治安もいいオアハカなので、ぜひ春旅の検討先に追加してみてくださいね。

些細な質問でもOKですので、不明点や疑問があればお気軽にお問い合わせくださいませ。

それでは、よい1週間をお過ごしください。

日本人スタッフ あみ

>>こちらの記事も読まれています!